アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

何かができなくても責められない世界

就職支援のAさんとは、毎回昼の2時に会うことになっている。

今日もそうなのだが、なぜだか毎回だるかったり眠い。

Aさんは全然嫌な人じゃないし、むしろ仕事探しとか関係なかったら普通に仲良くしたい人だ。

私がそれほど仕事が怖いということだろうか。

正直いってこれからの展望が自分でもわからないので、行き先のわからないバスに乗ってるような気分だ。

この先何がどうなるかはわからないけど、Aさんに会うべく地元に戻ったと言っても過言ではないような、必然の出会いだったような気もする。

というか、去年地元に帰ってから本当に心身ともに死にそうな思いの連続だったが。

早めに起きて、早めに飯食って、とできればいいのだけど、あまりにだるくてそれができない。

おまけに昨日は1日中爆睡してしまい、母から頼まれていた階段掃除も出来ず、自己嫌悪と罪悪感で疲弊していた。

母にも今日行くことは言っていないし、個人的に気まずい。

別に子供じゃないんだから事後報告でもいいんだろうけど、なんだろう。言わないといけない気がしてしまう。

この間Aさんにもらった自己分析シートはそこそこ埋めたが、なんとも何がしたいのかよくわからない人になった。

こんなことを書いたら突っ込まれるなとか、これは恥ずかしいから書かないでおこうとか色々考えてしまい書けなかった。

今の交友関係は一応音楽関係の人もいるので、というかほとんどそうなので書いたが、最早謎の人だ。

我ながらカオスな人間だ。

Aさんは都会にいたことはほとんどないのか、都会ならではの様々な体験をした私の話を楽しそうに聞いてくる。

といっても別に、ホステスをやったとか大げさな話じゃないんだけど。

私は自分や人の可能性に目を向ける人間なので、なかなかそれと現実を結びつけるのが苦手だ。

もう11時半か。

いつもろくにご飯が食べれない。

お菓子は置いてあるけど。

Aさん、料理苦手っぽかったな。

多分。そりゃそうか。手先不器用って言ってたし。

私はもしかしたらAさんよりはできるのかもしれないけど、なんの違いだろう。手際は悪いけど美味しくできればいいやっていう笑

母にとっても私は料理が苦手な人みたいになってるけど、そもそも母の前で料理したくないだけですけど。

まあ、手際的に見せれたものじゃないが。

なぜか私が米をたくと美味しいという謎の褒められ方はしたな。

手際の悪さが逆にいいのかな?みたいな褒めてんだか貶してんだかわからないことを言われた。

(母はガサツ気味なので)

何かができなくてもいいんだ、という安心感を持って生きていたためしがない。

多分無意識にいつも、できない自分を恥ずかしく思い、責めていた。

それはきっと親がそういう人だったからだ。

Aさんはきっと、そういう環境とはほとんど無縁だったのかもしれない。

確かに不器用なのは苦労しただろうけど、そういう自分を責めている感じはしない。

そういう人なら、多分もっと自信がなさそうだったり、他人を責めたりするはずだ。

Aさんはそんな自分も肯定しているような空気がある。

漫画みたいに、誰一人料理ができなくて、でもみんなで笑いあうみたいな世界もあるのだろうか。

いや、心のどこかではあるのだろうと知っていたけど、自分とは残念ながら縁がないのだろうと思っていた。

モデルとなる家庭環境が冷たいものだったから。

あまりに負の影響が大きかった。

学校を退学しようとした話

寝れないからとりあえず、ポッキーとせんべい食べて薬飲んだ。

妹に「最近よく私の部屋いるよね」と言われた。

私は1人が好きな人間なので、基本自分の部屋にいて、それでも苦じゃなかった。

でもなぜか最近心に穴が空いたようで、人といても埋まるわけではないけど気づいたら妹の部屋にいる。

「1人で自分の部屋にいるのが好きな人だったのにね」と言われた。

もちろん自覚はしていたけど、今までの自分と違うので自分でも面食らう。おかしくなってしまったんじゃないかと。

ただ、妹は人といるのが私ほど苦ではないので、私がいても邪魔ではないらしい。

そもそも私はいつまでも歌ったり、喋っているわけではない。

いるだけなので問題はないのかもしれない。

しかしこれで、寂しくて人といないと死んでしまうようなタイプの人の気持ちが少しわかった気がする。

ところで、専門学校をやめようとしたときのことを思い出した。

同級生とも馴染めず、授業もいまいちで、精神不安定だった。

クラスの友達と呼べる人は一カ月経ってもいなかった。

よほどのことがない限り、もうグループは出来上がっているし、馴染むのは難しかった。

大学はわからないが、私の行っていた専門学校はそんなに大きいわけでもないし、高校と同じようにクラス内でのコミュニティーが割を占めていた。

やめようと思っていることを担任に話した。(専門なので担任がいた)

それをきっかけにCDを貸してもらったりして仲良くなった。

担任は、あわよくば私が退学をやめる方向に持って行きたかったのだろう。

はっきりとは言わなかったが、核心に迫らないので私から切り出した。

私はやめることを諦めるつもりは正直なかった。

その頃は今よりももっと頑固だった。

担任は、「引き止めてごめんな。辛かったよな」というようなことをメールで言った。

担任が心から心配してくれていたことが伝わり、複雑な気持ちになったが、嬉しかった。

その後出会った、夜間部の校長(?)のようなS先生に言われたことが今でも忘れられない。

「学校を辞めた時に、『あの時学校を辞めた』ということがずっと付いて回ると思うよ」と。

あくまでやめるのはあなたの自由で、という前提で。

S先生は嫌味で言ったのでも、脅したのでもなく、多分今までの経験か何かから言っているのだとなんとなくわかった。

その後考えた末、やめるのではなくて夜間部に移ることにした。

週5日から3日になり、時間も大幅に減り、負担は軽くなった。

しかし、最初行っていたもののやはり辛くなり、ほとんどニートみたいな日々が続いたのだった。

けれど、元担任の先生にも、夜間で会った良い先生たちに出会えたことも本当に良かった。

私はいい人に囲まれていたのだなと振り返って思う。

あの先生たちがいなかったら私はどうなっていたのだろう。

余計に荒んでいた可能性もある。

人との出会いは本当に人に大きな影響を与えるのだと思った。

自分は出会った人、特に若い人には、ポジティブな影響を与えられる人間でありたいと思う。

(このブログは読まない方がいいけどw)

あの日がやってきました

(この記事は口調が荒れる可能性がございます。)

来ましたね。あの日が。

そうです、父の日です。

国を上げた母の日ハラスメントの次はこれです。

正直いって、父の日なんて普通に忘れていたのに、ご丁寧にお姉さまとお電話をしていた時に教えてくださったのでございます。

親に感謝しなさいよ?という無言の圧力。

うるせえ、幸せなお前らだけ感謝してろボケカス。

ちなみに、これを読んで思い出したくないのに思い出してしまった人、申し訳ございません。

しかし私は、これを読んでいてクソみたいな親を持っている人たちに感謝を強要したり、辛い思い出を呼び起こさせるつもりはございません。

むしろ、あえてクソみたいなエピソードを思い出し、クソ親を見限った自分を褒め称える日にしてください。

きっと勇気もあったし、一人ぼっちで頑張ってこられたことと思います。

それなのに、クソ親ときたらあなたの優しい気持ちも何もかも踏みにじったのでしょうね。

そして、周りの普通の人々の、「親を大事にしろ」とか「お前はあり得ない」というような態度や言葉に傷つけられたことと思います。

そんな奴らは平和ボケした甘ったれ人間だと思って放っておきましょう。あなたは悪くないのです。

もちろん、許せるならばそれもいいのです。

でも無理に許さなくていいのです。

何これ、自分に言ってんのかな?塩水で前が見えないよ。

母の日もなんにもしてないから、父の日もする必要ないな。

ところで、ちょっとしたことでギクシャクして、絶縁しようと思ってた人から、ずっと味方だよみたいなこと言われた。

なんでだよ。なんでそんなに人を信じられるんだ。

いや、私だって信じたいさ。だけどマンネリみたいなのが苦手でさ。

すぐに縁を切りたくなるのは家族との関係のせいなのか。

私はあんなことでせっかく続けてきた縁を切ろうとするなんて自分はバカなやつだと思った。

己の小ささを思い知らされるよ。

殺人事件に思うこと

血が足りないため、いつも以上に暗いがお許しを。

25歳という年齢はおかしくなる年なのかもしれない。

まさに子供と大人の狭間のような年。

新幹線の加害者はまだそれより若いけど、こんなに若い人ですら、絶望しなければいけない社会からのプレッシャーがあるということは、かなりの問題じゃないだろうか。

新幹線での殺人事件は思うところがあった。

単純に怖い事件としてではなくて、加害者の心の闇のようなものについて。

もちろん殺された方はたまったものじゃないし、乗っていた人も怖かっただろう。

所詮外側の人間の意見であることに変わりはないのだが…。

被害にあった人たちもある意味では加害者と似たところがあるのかもしれない。

いわば、見捨てる側と見捨てられた側のような。

この場合、無職の加害者は社会に見捨てられた人だ。

被害にあった人たちがどのような人生を送ってきたかまではわからないが、加害者をただのキチガイと片付けてはいないだろうか。

少なくとも、加害者のような見捨てられた感覚とは離れたところにいて、幸せに生きてきた人もいるのではないか。

わたしの身近にもどうしようもないキチガイがいる。

だからこそ、こういう事件の背景に潜むものを考えずにはいられない。

そいつですら、そうなった経緯を考えれば、誰も責められないのだから。

いや、親の責任は大きいけど…。

ところで具合悪いのに頼み事を平気でしてくる人ってなんなんだろう…。

人間として見られてないのか?こいつなら精神的に大丈夫と思われてるのか?

それとも、お前なら私の言うことを聞くのが当たり前だとどこかで思っているのか?

体調が悪くネガティブな上に、クソに送った手紙のことを考えると憂鬱だ。

いつ読むのか、どんなレスポンスが来るのか。

返事も書いてくるとは思うが、きっと母からなにかしら間接的に伝えられるだろう。

殺人事件の話に戻る。

なぜ他人を殺すのだろう?関係ない人を巻き込むのなら、本当に恨むべき人を殺せばいいのに、と身近な人が言った。

本当は家族を恨んでいたが、それに気づくのが怖かったのかもしれない。

それが無意識に、他人なら傷つかないと思って選択したのだろうか。

全て憶測に過ぎないけど。

本人にしたら勝手に分析されるなんてたまったもんじゃないだろうが、これは私の個人的な考えである。

果たして他人は他人なのか?

分離した感覚があったからこそ、他人を巻き込んだのかもしれない。

つまり、見捨てた社会=他人への怒り。

他人を冷たい社会を代表とした対象に投影したのか。

自分が幸せでありながら、不遇の思いをしている人のことまで考えて生きる人などどれだけいるだろうか。

加害者のように見捨てられた側の人間を排除し、自分さえよければいいという人々の代表のようなものとして、この事件の被害にあった人々がいるのかもしれない。

なんて書くと被害にあった人たちを批判しているようだけど、実際はわからない。

けれど、日本ではそういう人が大多数ではないかというのも事実だ。

しかし、この余裕のない社会で、他人を気遣う余裕を持つのは至難の技だ。

加害者が悪いとか被害者が悪いとかいう話よりも、社会のあり方について真剣に考えなければならない気がする。

昔会ったロッカーが元気そうだった。

20歳くらいの時に音楽活動で出会った人(ロッカーと呼ぶ)の様子をツイッターで見た。

元気そうだった。

そしてその人は何より、私が初めて会ってから、ずっと精力的に活動している。(休止とかなんかあったかもしれないが)

良かったなあと思う反面、自分と比べて落ち込む。

私はといえば、20歳ごろ、病んだメンバーによって病んだ状況に追い込まれたりした。

その人と会った頃はむしろ、メンバー間で散々な思いをし、もう一人でやったれと奮起して一人でいた時だったのだけど。

その年はなんだか、辛かったはずだけど、楽しい出会いもあったな。

バンドをやってた時に見てくれた人と仲良くなって、遊びに連れてってくれたりした。

まるで凹む私に神からプレゼントされたみたいな。

それで、冬ごろにBから連絡がきて急にみんなで飲まないかみたいなのが。

正直嬉しかったのでホイホイついていった。

そしてトイレで盛大にゲロ吐いた。死にかけた。

それから1年くらい押し問答が続き、やっとバンド再開も雲行きが怪しくまたダメになった。

そこから空白の数年が続いた。

もうなんか音楽やめたほうがいいんじゃないかとか、Bとの縁ぶち切りたいとか、なんかもう、なんやかんやだった。

もしBじゃなく別の人だったなら今頃違う展開だったんじゃないかとか色々考えると死にたくなった。

私の今までの20代はなんだったんだろうと。

そんで、結局今も、せっかく縁を切ろうとしても、妹とBが密接なつながりというか共依存的なので引っ張られている。

もう嫌。いっそ死にたい。音楽を自由にやっている彼のように私も生きたい。

この先も変な縁に縛られて苦しまなきゃいけないのか。

私が優柔不断だからいけないのか。

でも、また同じ地に戻っても、Bとの縁が切れる気がしない。だからこそ私は全く別の場所に行きたいと思うのであるが、もちろん不安なのと、妹との共依存が影を落としている…。

スピ的なやつで、私は古いものから離れる時期だと言われた。

古いもの…思い当たるのが人間関係ですが…思い出?それとも昔の考え?

もう正直わけがわからん。

私は本来、多分一人で生きていける。経済力を除けば。

ただ、問題がやはりBなどの共依存関係だ。

何回も書いていると思うが、Bにはバンドはできないと断りを入れたが、妹を巻き込んでまたあわよくば再開させようとしたがっている。

私だってバンドの夢は諦めたわけじゃない。でも、どうしてもBを信用しきれないし、そこに執着する必要もわからない。

かといってなあなあに関係を続けるのも何か違う気がする。

私はBといると、思い込みかもしれないが、自分が本当にやりたいことを制限される感じがしてしまう。

それが苦しいので、いっそ縁を切らないとできない気がするのだ。

年齢だって差し迫っている。

それなのにまたBと同じことをして、辛い思いをして後悔したくない。

もしかしたら彼にも罪の意識はあるのかもしれないが、果たして反省して変わるのか?と考えると、その可能性は低いように思う。

今、自由にやっているように見えるロッカーの彼にも、私と出会うまでにも色々あったんだろう。

聞いたことはないけど、遠くから来ているし、きっとそうなんだろうな。

私も早くそこに行きたい。

腹痛と宣戦布告(?)

腹が痛い。

月に一度くる死者だ…ってあまり言いたくないがまあいいや。

血がなくなると鬱のようになる時があるので、昨日はやや鬱だった。

妹が話しかけてきたがほぼ一言もでてこない。

気を遣って話しかけてこなきゃいいんだけど、話しかけてくるんだよなあ(笑)

でもなんか波があるのか、少しずつひねり出してたら、ある話題で元気が出てきて喋り出してた。自分が意味わからん。

おまけになぜか妹の足ツボとか押してたし。何回か。躁鬱か。

妹は無職の私をかわいそうに思い、お金あげるねと言うのだが、大抵忘れて寝るんだなこれが。

別にいいんだけど。

昨日、母から便箋返してくれと言われた。

友達に手紙を書くからと。

しかし、クソにかなり手紙を書いたのでもうほとんど便箋が残ってなかった。

ああ、これはバレるなと思い心して母の元に行った。

別に怒られるわけじゃないし、むしろ母は私がクソに手紙を書くことを望んでいた節があるのでいいのだが。

問題はそこではなく、内容だ。

「7枚くらい書いた」というとなぜか嬉しそうにしていた。そう思うよな。あんたの思考だと。

感謝とかたわいないことでも述べてるとでも思ったんだろうか。

全然嬉しい内容じゃないんですよ。

絶縁に近い内容ですよ。

私は母に手紙を見られないかだけが少し心配だった。

封筒には入れたが、封はしていない。

母なら「ごめん読むつもりはなかったんだけど読んじゃった☆」ということがありえなくない。

(ないなら読むな)

時間が経つと怖い。

あれを読んでクソはどんな反応をするのか。本当にあの内容で良かったのか。

もう少し、クソが書いた手紙に沿って書くべきだったか。

あそこまで言う必要があったか。

距離は起きたいが嫌いなわけじゃないと伝えた方が良かったか。

もっと巧妙に考えて書くべきだったか。

色々考えてしまうが、結局あれに、今の私の彼に対する思いが集約されているのだ。

お前のことなど気遣う余地もない、どうせ気づかんだろと。

気遣う余裕もないし、お前に手紙を書くという行為だけで精神力を使い果たしているのだと。

いや、かなり冷静な内容だと思うんだけどね。

それが仇にならなきゃいいけど。

感情的に書いてもクソのことだから逆ギレしかねないし。

もう会いたくないと書いといて、もしまだ家にいたとして、顔見なきゃいけなかったらダサすぎる。

これは自分の逃げ道をなくすための試練だ。

できるかわからないことを宣言するのは怖い。

私は他人にも自分にも嘘をつきたくない。

だから不言実行でありたいのだ。

その私があえて宣言を先にしたのは覚悟である。

なんて書くとカッコよく聞こえるけどな。

もう全てに我慢がならんのじゃ。

家族ごっこを繰り返すのに辟易しとるのだ。

枯れ木のように生きたい

枯れ木のように生きたい

タイトルは思いつきなんだけど。

歯がない人は面白い人が多い、というブログを読んで思った。

歯がない人はなぜ面白い人が多いのか。

単純に顔が面白いとかそういうことじゃなくて、性格が面白い人が多いということ。

なぜかというと歯がないということは、見た目を気にしていないということだからだそうだ。

つまり他人の目。

もしくはほんとにお金がないのかもしれないけど。

いや、本当に気にしてたら入れ歯くらい入れるのかな。

私の家族にも入れ歯がいる。

一応プライバシーの為誰かは言わないが、若い頃から入れ歯だった。

めちゃくちゃ他人の目を気にする人だ。

そして面白くない人間だ。

いや、私からすればある意味面白いけど、他人からしたらなんの面白みもない普通の人に見えるだろう。

それは隠しているから。

見た目は確かに大事だ。

私もまだ若い方だが少しハゲてしまってとても気にしている。反面、まあ別にハゲたらしょうがねえかという自分もいる。

単純にハゲてしまうと、やりたい髪型が限られてしまうから嫌だ。

ところで、クソに書いた手紙をテーブルにたたんで置いている。

夜が明けて、本当にこのまま出していいのかと思った。

念のため、なんだか恥ずかしいが読み返してみる。

からしたら別に普通というか、自分の中ではかなり冷静に書けた方だと思う。

しかしクソの気持ちになって読んでみた場合、いきなり恨みつらみが書かれているようにしか見えない可能性もある。

しかし大事なのは、いかにあいつの機嫌を損ねないか?ではなくて、自分の思いを伝えることだ。

家族が本音を言わないから私が書いた方がいいのでは、と前に書いたが、エゴのような気もしてくる。

いやエゴでもいいんじゃないか。

どうせどの道、家族が穏便に済ませようと奴隷のようにクソに従うだけなら、私が反発しようが大して変わらない。

私はもう家族に振り回されるのは正直御免だ。

一抜けしたい。

しかし、妹が母の言いなりになっている限り、私も共依存的に引っ張られていなきゃいけないのだろうか。

仮に私だけ逃げたとして、それで気持ちが晴れるのだろうかと考えると微妙だ。

妹は意志が弱い。

Bとの付き合いにおいても言うことを聞きがちで、それで私も引きずられる感じだ。

関係ないが妹に「◯◯(私)はアーティストだから」と言われたけど、「アーティストだから(笑)」とバカにされている気がした。

実は羨ましいのかもしれないけど、馬鹿にすることでごまかしてんのかな。

私も他人の目はとても気にしてしまうから、川を流れる枯れ木のように気にすることなく生きてたい。

関係ないけど最近髪がボサボサだ。とにかく元気がない。

周りに自信もやる気もない人が多いなと思ったんだけど、私も同じように見られるのが辛い。

残念私そっち側じゃないんですよ〜むしろあんたたちが粘着してるだけですからw

マジでもう無理。全部無理。

ネガティブな輪に入っていたくない。

就職支援のAさんは素敵な人なんだけど、闇を感じないせいか、会うたび自分の状況や暗い部分を自覚して辛くなる。

本当にいつかこの腐った家や病んだ人間関係から解放されるのかとか。

もう脳みそも完全に停止して、ぼーっとしたまま一日が過ぎていったらいいのに。

この家で能動的に生きていられる気がしない。何もしたくない。電話うるせえ死ね。

妹が、私がちょっと自分のことを、何々なところが〜なんだよね〜とか言うと、かかりつけ医のごとく、それは〜だからじゃない?とかいってくるのすげーウザい。

言わなきゃいんだけどついぽろっと出る。しまったと思う。

しかもそれが大体ずれてる。

一緒にいなきゃいいんだけど、いないといけない気がするから(辛いから)いなきゃいけない。

意味わからんよね。

病的な共依存なのか。

一緒にいないと苦しくなる。でもいたいとは思ってない。自分の感情じゃないみたいな。

もう頼むから俺を自由にしてくれ。しがらみはうんざりなんだ。

今度妹も会うつもりでAさんと約束したけどiPhoneの日付変えてたせいで、間違えて妹が仕事の日に予約してしまった。

つまり私一人。電話し直す気力もないから今度謝る。

でもこれも導きなのかしら(笑)

スピ的だけど、なんとなく目つぶってつけた日付の日に何か起こった、って言ってた人がいて、ちょうどそれがその日だった。

何があるんだろう…怖いけど楽しみ。