アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

愛を与える人

起きると、喉の痛みとからからに渇いた喉とリンパが痛んでいた。

気分は最悪だ。

座敷童みたいな化け物人形を殴り倒すホラーバトルみたいな夢を見た。

四人の女の子がいた。

電気をつけてもつけてもつかない。不快だった。

都会から離れることがただただ悲しい。

いくら頭で折り合いをつけようとしても、心が追いつかない。

このままでは本当におかしくなるのではないだろうか。

このタイミングである腐れ縁の友人からLINEがきた。

この頃この友人から来ることなんてなかったのに。

なんだろうと思ったら、

「メールが使えるようになったらこんなのが来てた」と。

それは妹が去年送った、「届かないメールを送ってみた」という一文。

このタイミングはまるでお別れを言いに来たようだった。

友人は引越しのことは知らない。

妹が話していなければの話だけど、多分していないだろう。

最後だからしたかもしれないけど。

誰にも行かないでくれなんて言わなかったし、それもあってか、私はやっぱりという思いとともに愕然とした。

ただ少し寂しそうにある人に「借りてた◯◯返さなきゃな」と言われただけだった。

所詮その程度の存在だったのだ、と卑屈な私が言う。

私はいつも誰かに「待ってくれ」と言われるのを待っていた気がする。

だがそんなドラマチックなことを言ってくれる人などいなかった。

漫画やドラマの見過ぎと言われてもしょうがない。

共依存の人が言う「君がいないとダメだ」という都合のいいセリフではなく、健全な人に心から「君じゃなきゃダメだ」と言われたかった。

死にたがる友人を見るたび、私は「まだ死ぬな」と励ました。

こちらから連絡することもあった。

けれど向こうから来ることはほとんどなかった。

死なないで!君は頑張ってるよ、と言ってくれる人もいなかった。

(いたけれどやはり寂しい)

彼彼女らにとって、私はその程度だ。

死にたがったら全力で、しかし優しく止めてくれるような人はいない。

なんとか止めることはできるかもしれない。

でも、私はただ「死ぬなんてバカなこというな」という雑な文句で心は動かない。

あの人に取っても、所詮私は「いなかったら寂しいなぁ」程度の存在でしかない。

今の時代、簡単に携帯でメッセージのやりとりもできる。

離れていてもやり取りができる。

だから別れは別れではない。

今の私はネガティヴなのもしっている。

かわいそうな自分に浸りたいだけなのだと。

自分が一番嫌いな、悲劇のヒロインだと思い込みたいのだ。

なんだか最近聴いているhideのようだと思う。

Xjapanのhideは、生前は臓器のドナー登録をし、またそういう人たちを支援する活動をしていた。

そしてhideのファンである、ある病気の女性に直接会って励まし続けた。

女性はhideの必死の励ましのおかげか、見事に手術も成功し、回復した。

そして28歳まで生きた。

しかし、hideは女性よりも先に死んでいた。

自殺だ。

これを見て、誰もが「なぜ?」と思うだろう。

あんなに病気の人を励ましていた人がなぜ?と。

実際、死因自体は明らかに自殺だが、酔っ払っていたことと、以前やっていた肩こりを治す方法と同じだったため、誤って死んだのではと言われていた。

でも私はhideの心情が分かる気がする。

死にたいほど辛い人だからこそ、死の淵の人を励ますことができる。

それも闇雲に励ますのではなく、本当に死にたい人の気持ちを察して優しく寄り添う。

こんなことは誰にでもできることではない。

少なくとも、私の周りでは見たことはない。

hideの優しさは、歌詞を読んでもわかる。

もちろん誰にとっても聖人君子、というわけではなかったろうが。

その証拠に、今でも人々に愛され続けている。

hideと自分を重ねるなんて気持ち悪いが、死にたがるひとに寄り添う、という部分は似ている。

私もとても死にたい人の気持ちがわかるからこそ、それに寄り添うことができる。

ただそれは諸刃の剣で、いつ自分も死ぬかわからない、ということでもある。

もちろん、調子が良ければ「誰かを悲しませてはダメだ」と自制することはできる。

だが、ひとたび調子が落ちたり、立て続けに嫌なことがあったりしたらわからない。

常に「死」が口を開けて、私が足を滑らせるのを待っている。

私は「死なない」人が分かる。

オーラとかが見えるわけじゃないが、生命力のようなものだろうか。

死ぬ人は、やはりどこかに影を背負っている。

優しすぎる人は危ない。

考えなくてもいいことまで考え、他人の気持ちまで背負ってしまう。

ひとからは愛されても、本人は本当の愛を渇望しているのかもしれない。

同じように愛してくれる人など、そうそういない。

そもそも愛に溢れた人ならば、それを求める人が周りに集まる。

つまり、同じく愛を与える人には出会えない。

愛を与える人は、常にその孤独と戦っているのだ。