アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

孤独な自立型、真逆の依存型

自分の理解者なんていないんだなあと思うと虚しくなる。

今までも心から理解し合える人がいなくて、なんとか一人でやってきたけど。

やっぱり家族にも理解者がいないとなると、なかなか何を信じたらいいのかわからなくなる。

ふと誰も知ってる人がいない場所に一人で行きたくなる。

前から思ってたけど。

自分はこんなところでいつまで腐ってるんだろう?何してるんだろう?と自問自答する。

人間、少しくらいの依存があって当たり前、とある人が言った。

私は精神的に自立しすぎていると。

頼って欲しいという意味だったのか。

しかし、私自身、自立することが悪いことだとは思わないし、しすぎているとも思わない。

それは依存が当たり前だという人の意見であって、私には精神的依存が当たり前の人たちが理解できない。

だから、自立している私を否定まではいかなくとも、受け入れてくれないのかと少し寂しく感じた。

今はとあることがあって、距離を置いているが、思えばそういう些細なところで食い違いがあったのかもしれない。

その人は家族に似ているところがあった。

私の家族も紛れもなく依存タイプだ。

それも誰が自立しているというわけでもなく、おそらく私以外が依存タイプだ。

だから余計に自立する私が時にのけ者ののような扱いで、違う生物みたいに見られるのだ。

普通の家族がどういう構造になっているのかは知らない。

カップルならば依存タイプ×依存タイプ、自立タイプ×自立タイプ、依存タイプ×自立タイプにわけられるだろう。

そして自立タイプが依存タイプに好かれた場合、当然ながら絞られる。精神的自由や経済的自由など。

私の家のような場合、兄弟で一人だけ自立タイプがいると、当然浮くのだろう。

しかしこのタイプというのも、相手によって変わる場合もある。

ある人には自立しているが、ある人には依存する、というように。

当たり前かもしれないが。

私は恋人もおらず、誰かに依存した経験がないのでわからない。

極端に依存を恐れているところもあるだろう。

夜中にNHKカナディアンロッキーをぼんやり見ながら(景色のやつ)、疲れたなあ、と呟いた。

今は拒否するという戦いを家族としているわけで、裁判中のようなものだ。

戦いというのは何も言い合ったりすることだけではなく、何かを拒絶することも戦いになるので、かなり消耗するのだ。

これが他人ならバックレるか、普通に仕事をやめると報告しておしまいなのだが、家族だからそうはいかない。

これがいつまで続くかわからないし、ご飯もろくに食べれる日がなく痩せていくだろう。

やはり食の状態が影響しているのか、左のほおにでっかいニキビができている。痛くてしょうがない。