アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

旅行の件と閉園のこと

朝の仕事が終わった後、◯◯市のホテルの空きをチェックしてみた。

偶然3000円代の安い普通のホテルというか旅館を見つけた。

1室だけだったが。

だが結局本来の考えすぎる悪い癖が顔を出した。

一人でもいいかと思ったがもし2人でいく場合は予約も変わるし、まだ早朝だから連絡しようにも起きてるかわからない。

その後、祖母もいなくなって母のいるリビングに降りた。

テレビではオリンピックのスノーボードをやっていて、平野歩夢とショーンホワイトが出ていた。

オリンピックは興味がないが、スノーボードはかっこいいと思うので少し見た。

ソファにいる母に旅行の件をもちかけるタイミングをはかるが、いっこうにつかめない。

ありえないくらい緊張している自分がいた。

しかし顔色に鈍感な母は気づかない。

もともと感情をおさえる癖がついた私のことだからなおさら気づくはずもない。

無慈悲にもそのまま時は過ぎていった。 母はご飯食べなさいというが、旅行の件で頭がいっぱいな私は、この話をするまで安心して食べられる気がしなかった。

たかが一言いうだけなのに、どうしてこんなにつまってしまうのだろう。 途中、父への来客があったり、母が洗濯物をたたむとき、いつもは積極的にしないが手伝ったりした。 母は気づかないが私はよほど気が動転していたのだろう。

母は、私たちが通っていた保育園が閉園するらしいという話をした。 もう人数が10人を切っていたから当然といえば当然だ。 自分の痕跡がどんどん消えていく気がした。 もっとも私は保育園に途中でいくのをやめたのだが。

母は「◯◯ちゃんはいい思い出ないか」と言った。 そもそも記憶がほとんどないのでなんとも言えないが、思い出せるのは確かにあまり良くない記憶だ。 とはいえ、通っていたところが無くなるのはやっぱり切ない。

そこから母の話は姉に移った。母は笑いながら話す。 「保育園といえば◯◯ちゃん(姉)ね」 私はいやな予感がした。 いやな予感も何も、母の記憶は大体姉のことしかないというのが、私には気分が悪い。

「◯◯ちゃん(姉)は、いつも寝れない!って言うのに、一番最初に寝てたんだってね。先生が言ってた。その先生、今も良くスーパーで会ったりするんだけど全然変わってなくて…etc」

この話を聞いたとき、自分もいく前は学校をめちゃくちゃ嫌がっていたが、日記には楽しかったとかいていたな、と思い出した。

だがいく前はいつも嫌だったので母と乱闘したのだが、母はこの頃の記憶は都合良くすっぽり抜けているようだ。

このときの話を母がしているのは聞いたことがない。 ただ不安げに「虐待みたいなことしてなかったよね?」と聞いてきただけだった。

(たとえば虐待された子供が、虐待してきた母に「あのときはほんと、根性焼きされて痛かったんだからぁ〜」なんて言うと思っているのだろうか。)

死ぬほど嫌がる場所に、泣いて嫌がる子供の理由も聞かずに、引きずって連れて行くことが虐待にならないのなら、虐待ではないのだろう(笑)

話は戻り、姉は人に恵まれているのかなんなのかわからないが、今でもたまに会ったり話す先生などがいるらしい。 私の頃にいた厳しい先生は、割と若くしてガンで死んだ。

私は母に対しては大抵そうだが、母の話を無表情で頷いて聞き流した。

でもこの人は相手が不快な思いをしていることにはてんで気づかない。 ああ、またこんな感情になるのかと自己嫌悪した。 かまってもらいたかった、もっと人並みに目立ちたかったと言うような寂しげな自己を認識するのが辛い。

20代も半ばになっても、こんなところは治りそうもない。 自分はあの親にもう何も期待していないはずだと言い聞かす。

それでも、深い部分ではまだ期待しているのだろうか。

虚しい気持ちのまま食事を終え、ちょうど母がいなくなり内心ほっとしながら食器を洗う。

どうしても、気持ちが暗くなっていくのを抑えられない。 こうなると、もう旅行などという気分ではない。 自分だけが執着しているようでバカみたいに思えてくる。