アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

生きる意味とは

近頃、なぜだかわからないが疲れ切っていて、休みの日はほぼ睡眠にとられるため、何も生産的なことをしていない。

当然、商売もどき(笑)のほうも全く進んでいない。

最近いつも楽しく読ませていただいているこのブログなのだが、そこにも書かれていたのだけど自分は人生で何がしたいのだろうと考える。

私は会社員だったことは一度もないが、去年はそのようなもので、つまり働いて安定した給料をもらうという生活がどのようなものかのシミュレーションができた。

なるほど、経済的安定というのは確かに、精神の安定にかなり重要だと思った。

けれどそれ以上でも以下でもないという気がした。

自分が働けない時期、他人の目線を気にすれば居場所の無さに苦しんだけど、ある意味で精神的な自由を得られたあの時期が無性に恋しくなる。

自分にとってこの生活がつづくのは、ぬるま湯に浸って、だんだんと温度を上げられる、まさにゆでガエル状態のようだと思った。

ましてや特に好きでもない仕事で老いるまで続けるほど愚かなことがあるのだろうかと思う。

人生何があるかわからないのだし、万が一自分が今の仕事を続けたとして、どう思うかはわからない。

でも少なくとも今の時点で、この仕事にまったく魅力を感じておらず、死んだような気持ちが続いているのだ。

仕事をしていれば安定した給料は約束されるが自由が制限されることに嫌気がさし、仕事をしていなければ自由はあるが経済的に満たされず苦しむ。

日本のほとんどの人は、この意味を真剣に考えず死んでいき、あるいは年老いていくのだろう。

それもまた人生なのだろうけど、自分は気づいてしまっている以上、考えずに生きることは無理と言える。

仮に安定した生活が約束され、自分が好きな創作活動をいくらでもしていいと言われても、果たして本当に良いものができるのだろうかという不安がある。

現実的に言えば金に困らない殿方と結婚して、育児すらもしなくてよく、殿方の財産に依存するという環境が近いだろう。

芸術というのは、生きていく上での苦悩が現れてこそ人の心を打つものができる気がする。

それが、なんの苦悩もないまま(細かい悩みはあれど)創作活動をして、人の心を打つものができるのだろうか。

人間とはつくづく矛盾で成り立つものだなと思う。

かなり前にも、経済安定と優れた創作物は比例しないのではないかというような記事を書いた。

エイリアンインタビューにもあったけれど、この地球での人間の暮らしは経済的、社会的に支配されることで成り立っている。

金持ちが一番偉く、貧乏は悪いものという概念を植えつけられる。

つまり有名で金の亡者のような人間ほど本当は悪い人間であり、本当に人間として優れた人は、有名になることも、金持ちになることからも程遠い位置にいる。

ゴッホのような、生前にほとんどなんの功績も残さず(作品は素晴らしいが人に評価されなかったということをさして)死んでいった人こそ真の芸術家といえるのかもしれない。

神に愛されているからこそ、社会的成功という悪魔の贈り物(?)をあえて与えられなかったという可能性もある。

仮にゴッホが社会的に成功して、精神的にも安定して満足していたら、同じように優れた作品が生まれただろうかという疑問が湧き上がる。

人の心を打つものを作った人たちは、経済的にも精神的にも(もしくはどちらか)苦労してきた人が多いんじゃないだろうか。

成功が悪のような書き方をしてしまったが、当然これは一説で、万人の成功者が悪だという話ではない。

でも、この地球で成功しやすい人間というのは、実際には胡散臭い人間が多いというのはあると思う。