アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

毒親なんて、死んでるくらいがちょうどいい

親って必ずしも必要だろうか?

まともな親ならともかく、クソみたいな親なんていないほうが確実に生きやすい。

片親を嘆く人とかいるけど、両親がいることで、逆に生きづらくなる人もいる。

親が悲しむから〜と、本当に自分がしたいことができなくなる人もいる。

親がいなかったらその分口を出されず、自由に生きられるというメリットがあるのではないかと思うのだ。

片親だから、親がいないからと言って悪いことばかりではない気がする。

それはむしろ、親という幻想に縛られて、理想化しているだけの可能性もある。

たとえば片親に捨てられたとして、その親に会えることを熱望さしていたとする。

しかし、そんな親に会うことが必ずしも幸せに繋がるのだろうか?

むしろ二度と会わないほうが幸せかもしれない。

もちろん、いろんな事情があるだろうから、必ずしも子供が嫌いで捨てた人ばかりではないだろう。

でも中には、捨てた子供の気持ちなど微塵も考えない幼稚な親である可能性だってある。

私は片親というものを経験せずに育ってきた。

その中で得られたものといえば、財力くらいだ。

それ以外はほとんどデメリットだったといっても過言ではない。

財力があるだけマシでしょうと言われるかもしれないが、その分プライベートは無いよと言われたら、果たしてみんなそんな人生選ぶだろうか?

私は金より何より愛が欲しかった。自由が欲しかった。

親から得られたものが財力だけって、それは無いでしょう。

それはあなたが忘れてるだけでしょう、と思うだろうか。

母親に関してはこの際置いておくが、父から得られた愛情らしきものは正直ほとんど見当たらない。

ペット的に可愛がられたといえばそれは愛情なのかもしれないが、私の欲していた愛情という意味では得たものはない。

父からの強い愛情を感じた思い出などないし、小さい頃からろくに喋ってくれない、真剣に向き合う気の無い父親なのだなという印象しかなかった。

シャイだったといえばそれまでかもしれないが、それにしても一言くらい手紙でもなんでも伝えろという話だ。

まあ、だから今はメールで喋るんだろうけど笑

父がまともに喋ったのは私が大きくなってからだったので、私の中で手遅れだった。

もう父に対する愛情を持つには時が経ちすぎていた。

母に、父からちょっかいを出されたり嫌なことを言われたり、喋ってくれない愚痴などをいうと、決まって「可愛いからだよ」と言われ、なんだか誤魔化されている気しかしなくてモヤモヤしたのだった。

私が大きくなると母は私に嫉妬を向ける言動などをしてくるようになった。

自分の意志で冷めきった関係を続けているくせに、父が私を褒めたりすると「◯◯にはそんなこというんだ」などと中学生の少女みたいな嫉妬をしてきた。

父だけに限らず、兄についてもだった。

私はもうあの野郎に関しては本当に関わりたくないのだが、そんな思いも知ってか知らずか、母は嫉妬してくるのだった。

兄からこんなメールがきたよ、というと、◯◯にはそんなこというんだ、というお決まりの思春期中学生みたいなことを言ってきたりした。

母の嫉妬は男家族だけにとどまらない。

妹にも飛び火した。

私が妹と電話して爆笑していたりすると、うるさいとか、(こんなに騒ぐことなど滅多にないのに)妹と喋るのはそんなに楽しいかいみたいなことを言ってくる。

とにかく私が誰かと楽しそうにしたり、褒められると気が済まないのか。

だいぶ脱線してしまった。

こんな親だから、実は本物の親ではありませんでしたと言われても、私は泣いて喜ぶんじゃないだろうか。

親なんて、死んでるくらいがちょうどいい。

ふと思いついた言葉。

小泉今日子の「仕事なんて、やめたいくらいがちょうどいい」という名言をパクった。

私が有名人なら大炎上しているところだと思うが、我ながらいい名言だと思う。

人でなしと思われてもしょうがないけど、毒親持ちはさぞかし納得するんじゃなかろうか。

毒親なんて、死んでるくらいがちょうどいい、といったほうがいいだろうか。

毒親が生きていたら互いに憎み合うだけだ。

親が死んだときにやっと愛せるのかもしれない。

最後に言っておくが私は親のことは大好きだ。

大好きだけど大嫌いなのかもしれない。

ただ問題は私が自立することだけだと思う。