アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

鬱な未来予想

風呂に入っていたら、鬱なことを考えてしまった。何度か考えていたけど。

クソが子供を作ったとして、もし育児放棄か何かして、自分がクソの子供を引き取ることになったら。

こういうめんどくさい人間が身近にいると思ってしまう。孤独の何がそこまで不幸だと言うのだろう。

確かに人はないものを求める。

孤独が怖い人は人といようとする。しかしそれが不安を増大させる。

孤独が好きな人が孤独になれない場合、自由を求める。

もし1億の負債か、くその子供を引き取れと言われたら前者で迷うくらい嫌だ。

これはただの不安じゃない。

非常に現実に確実に起こってもおかしくない、未来予想だ。

それなら自分はやはり早くに死んだほうがマシなんじゃないかというほどの苦しみだろう。

両親が死んでいたとしたら当然こちらに子供を押し付けられる可能性は高いし、死なないとしても、関わりがあれば独り身の可能性が高い私に預けるかもしれない。

私が結婚していたとしても、子供を作らない可能性も高いし、いたとしても意思は無視されることも大いにあり得る。

元々この家で私に人権などないのだから。

そうなるとやはり家族は害悪だ。

と、排除して考えてしまうが、それはエゴなのだろうか。

思考が現実になる、とはいうが、宿命というものもある。

どんなに拒否したって、ある人の突然の死は免れないかもしれない。

もしそうだとしたら、私がいくら拒否したところで、結局望まない未来はやってくるのだ。

私がいくらポジティブでいようが、まるでそれを邪魔するように家族に妨害されてきた人生だ。

それは私の意思とはまるで関係ない。

これはもし私の母が代わりに育てるなら、クソをしっかり育てなかった報いかもしれない。

だがもし母も死んでいて、私に降りかかってきたら、それは家系の重いカルマのようなものを終わらせなければいけない役目なのだろうか?