アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

殺人事件に思うこと

血が足りないため、いつも以上に暗いがお許しを。

25歳という年齢はおかしくなる年なのかもしれない。

まさに子供と大人の狭間のような年。

新幹線の加害者はまだそれより若いけど、こんなに若い人ですら、絶望しなければいけない社会からのプレッシャーがあるということは、かなりの問題じゃないだろうか。

新幹線での殺人事件は思うところがあった。

単純に怖い事件としてではなくて、加害者の心の闇のようなものについて。

もちろん殺された方はたまったものじゃないし、乗っていた人も怖かっただろう。

所詮外側の人間の意見であることに変わりはないのだが…。

被害にあった人たちもある意味では加害者と似たところがあるのかもしれない。

いわば、見捨てる側と見捨てられた側のような。

この場合、無職の加害者は社会に見捨てられた人だ。

被害にあった人たちがどのような人生を送ってきたかまではわからないが、加害者をただのキチガイと片付けてはいないだろうか。

少なくとも、加害者のような見捨てられた感覚とは離れたところにいて、幸せに生きてきた人もいるのではないか。

わたしの身近にもどうしようもないキチガイがいる。

だからこそ、こういう事件の背景に潜むものを考えずにはいられない。

そいつですら、そうなった経緯を考えれば、誰も責められないのだから。

いや、親の責任は大きいけど…。

ところで具合悪いのに頼み事を平気でしてくる人ってなんなんだろう…。

人間として見られてないのか?こいつなら精神的に大丈夫と思われてるのか?

それとも、お前なら私の言うことを聞くのが当たり前だとどこかで思っているのか?

体調が悪くネガティブな上に、クソに送った手紙のことを考えると憂鬱だ。

いつ読むのか、どんなレスポンスが来るのか。

返事も書いてくるとは思うが、きっと母からなにかしら間接的に伝えられるだろう。

殺人事件の話に戻る。

なぜ他人を殺すのだろう?関係ない人を巻き込むのなら、本当に恨むべき人を殺せばいいのに、と身近な人が言った。

本当は家族を恨んでいたが、それに気づくのが怖かったのかもしれない。

それが無意識に、他人なら傷つかないと思って選択したのだろうか。

全て憶測に過ぎないけど。

本人にしたら勝手に分析されるなんてたまったもんじゃないだろうが、これは私の個人的な考えである。

果たして他人は他人なのか?

分離した感覚があったからこそ、他人を巻き込んだのかもしれない。

つまり、見捨てた社会=他人への怒り。

他人を冷たい社会を代表とした対象に投影したのか。

自分が幸せでありながら、不遇の思いをしている人のことまで考えて生きる人などどれだけいるだろうか。

加害者のように見捨てられた側の人間を排除し、自分さえよければいいという人々の代表のようなものとして、この事件の被害にあった人々がいるのかもしれない。

なんて書くと被害にあった人たちを批判しているようだけど、実際はわからない。

けれど、日本ではそういう人が大多数ではないかというのも事実だ。

しかし、この余裕のない社会で、他人を気遣う余裕を持つのは至難の技だ。

加害者が悪いとか被害者が悪いとかいう話よりも、社会のあり方について真剣に考えなければならない気がする。