アダチルニートの明るい脱獄日記

ニートじゃなかった期間を経てニートに還る。アダルトチルドレンのムショみたいな家の苦しみの叫び。いつか脱獄できることを誓って。百転び百一起きの精神で読んでる人を笑わせたいネガティブに。

人は楽しむために生まれたのか?いや、苦しむために生まれたのだ

夕方。仕事は休み。

未だに倦怠感のような、モヤモヤする気持ち悪い感じがする。

なにもできない自分への苛立ちが募る。

やっぱり自分は人と住むことに向いていないんじゃないかという不安、しかし一人で稼ぐ自信がないという矛盾。

もう死ぬほど考えすぎて疲れた。

家族は地震などの災害が怖いと言って、引越しが嫌になってきたと言った。

結局、引っ越すことが怖くて、引っ越せない理由を探したのではないだろうか。

ネガティブな理由を見つけようと思えばいくらでもみつかる。

この家族は、仕事を探すときも、まずネガティヴなことを調べ、あれこれ心配して結局やめる。

確かにリスクを考えるのは必要だけど、これじゃなにもできない。

私もそれなりに二人で過ごすことを考えて賃貸などを検索したりした。

でもやっぱり無理な気がしてきた。

何より二人の方向性が違いすぎる。

これで一緒に住み始めたとしても、また何かしらのトラブルが起きる可能性が高い。

今の私は無収入のようなものだし、これからが見えない。

私が今までアホながらも色々やってきたのは、確かに無知だったのもあるが、やはり体験こそが大事だと思ったからだ。

それをせずにリスクばかり考えて回避していたら、やはりつまらない人生になっていくのだ。

私の家族は過保護で過干渉なところがある。

私は自由に生きたいと常に思ってきたが、この家族に無駄な罪悪感を植え付けられた。

ちょっと夜遊びでもすればなぜか犯罪者のように怒られる。大人なのにピアスを開ければ不良だと言われる。

本人たちは綺麗さっぱり忘れてると思うが、私はあのときの不自由な不快感を忘れない。

当時はそれが苦しくて、たまたま行っていた神経科のカウンセラーに話した。

それはおかしいよと言われた。

私の家族がおかしいと他人にはっきり言われたのはこれが初めてで、特別相性がいいわけでもなかったが、自分は間違っていなかったのかと思った。

カウンセラーに少し感謝した。

たとえば私が変な男に捕まったところで、何か困ることがあるのだろうか。

私がそんなに変な男に捕まると思うほど信用がないということだろうか。

正直言って、男を見る目で言えば、私より家族の方がおかしいのではないかと思う。

母は言わずもがな、モラハラクソ男と結婚し、未だに離れられない。

私は偉そうな男が嫌いなので、まず仲良くならないし、友達になったとしても疎遠になるだろう。

あの人たちが心配しているのは、究極的に、自分なのではないか。

私を自分のように弱い存在だと思っているから、私が立ち直れないとでも思い込んでいるのだ。

確かにクソ野郎共に傷つけられてボロボロにはなったが、私はこうして生きている。

生きるとは、苦しみなしにはできないことなのだ。

ボロボロになっても得しないのに我慢し続けることの方が危険だ。

苦しんだ分、ある意味強くもなれるという矛盾。

人生は矛盾だ。

一時期、SNSで人間は苦しむために生まれたのだと知り合いに言ったことがあった。

軽く言ったのだが、そのときの自分は悟りを開いたような気になっていた時期だったのかもしれない。

その後、やはり人間は楽しむために生まれたんじゃないかとも思った。

しかし、今ではやはり苦しむために生まれたのではないかと思っている。

その知り合いは割といい年だが、精神的に成熟しているようなことを言ったかと思えば、年の割に子供っぽいところもある。

羨ましいような、残念なような変な印象を持っている。

という自分も似ている気がするけどね。

私に対して、なぜか悟ったようなことを言う人がたまにいるが、あれは嘘だったのか?というほど、子供っぽい人になるような変な現象がある。

私はその度に狐につままれたような気分になって、相手に対する微かな失望のようなものを覚え、静かに離れていくというパターンが多い気がする。

未だに、価値観が本当に合うというというような人間に会ったことがない。